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Cold Snow a Ray

 Snow is cold to give off a glow of light......

東北地方太平洋沖地震

2011年3月11日、日本国内最大のM9.0という大型地震が発生しました。
この未曽有の大災害で亡くなられた方々に心よりお見舞い申し上げると共に、一刻も早い復旧をお祈り申し上げます。

↓続きは↓
私は地震発生時に丁度、面接と面接の間で時間つぶしにヨドバシカメラ新宿本店にいました。
フラフラとPCパーツやらキーボードを眺めて、洋ゲーのパッケージを眺めてたときに、前々勤めてた会社がサービスしてい"た"タイトルのパッケージがあったため、スマートフォンのサイレントカメラで撮影し、Twitterでその事を画像付きで書き込みをした際にグラグラと揺れが起きました。

最初に縦揺れが発生した際には「おっ?」と少し危険を察知したんですが、そののちに横揺れに変わったので「あぁ、三陸沖でまた地震かー。すぐ止むだろ。」とその時には事の重要さを軽視していました。
ですが結構長い時間横揺れが続き、ソフトウェア「HDD革命」の説明をしていたお姉さんが怯えだし、客が一気に外に出だしたのを見て「まぁそうだろうな」と結構冷静に見ていれたのは変な話ですが・・・。
長く続く横揺れの最中、店員さんが誘導を始める前に用を足し、店員さんに「大変ですね・・・」言い、苦笑いしながら外に出たらびっくり。あっちこっち人だかり。
揺れ自体が大きかったので自宅で寝てたオフクロのことが気になって電話をするも、送信の回線がパンクしていて一切つながらないという状況にもなっていました。

直感でなんかヤバイなと思い、妊婦である姉(長女)が地震で危ういことになっていないかと心配になり、姉夫婦の家まで歩くことにしました。
その際、アルタ前を通ることになったのですが、凄まじい人だかりにアルタ前のモニタを見たら津波で様々なものが流されている映像が写っていました。
これはヤバイと繋がるまで姉の携帯に連絡をしながら歩いて姉の家まで行き、手前のコンビニでいざという時の飲み物と食べ物を調達したときに電話が繋がり、そのまま姉夫婦と合流しました。

そののちは姉夫婦の家で震災による状況を確認して若干唖然としました。
津波により流された車や漁船、家・・・。
堤防を易々と越える高さや川を逆流するさまが凄まじい。

私の親戚はみな福島にいるので、電話が繋がらないなどの状況で安否確認が全くできませんでした。
固定電話からはできるという情報は結構後になって知ったのですが、その際に私の両親が確認したらしく、無事とのことの連絡を夜中にメールで受けて一安心。
で、忘れてた頃に派遣の看護師をしている姉(次女)が長い距離を歩いて姉夫婦の家に到着。
変なときに姉弟が揃うという現状に苦笑いしつつ、姪っ子の遊び相手をしながら地震情報を見ていました。
この時路線は完全にストップしており、帰れないのは分かっていたので姉夫婦の家に泊まりました。

余震で頻繁に揺れていたので義理の兄貴とテレビを凝視しつつ、いざという時のために変わり番で睡眠を取り、12日を迎えました。
電車自体は動いていることは確認したのですが、人の数が異常ということを理解していたので時間をずらして帰宅したところ・・・私の部屋が悲惨なことに・・・。

状況はご想像にお任せします。

地震発生時と余震で電車が完全に動かないことを悟ったときに2件目の面接先に連絡を入れていたのですが、スマートフォンの電源が切れてしまっていたので確認ができず、自宅で確認した後に方々へメール送付作業、その間も余震祭で心休まらないまま、今日を迎えた、というのが現状ですね。

静岡での直下型震度6の地震が発生したのを機に、東南海地震が誘発されたのかと戦慄が走りましたけど問題なさそうで胸をなで下ろしました。
横揺れならなんとかなるんですけど、縦揺れだと歩くのもままならないので、足腰が弱ったオフクロを連れて外に出るのが大変。
このまま小さな余震だけでことが済めば一番いいんですがね・・・。

私の状況をざっと説明したところで今回のブログ記事は終了はとさせていただきます。
次回更新は未定ですがなるべく更新するようにします・・・。
はい。
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